【人間関係】「みんな」って誰?問題
退職と妊活を経験し、
「ムムム…」
と反応するような言葉がいくつかありました。
「〇〇した方がいいよ!」とか
「毎日何してんの?」とか。
上の言葉以外に、喉の奥に引っかかっている言葉があります。
「みんな頑張ってるのに何で?」
「みんなやってるよ」
特に引っかかったのが、退職すると決めた時に言われた
「みんな結婚しても仕事辞めずに頑張ってるのに、何で?」
という言葉。
ん?
みんなって、誰?
みんなが頑張ってる事は私も頑張る理由になる?
咄嗟に浮かぶ違和感…。
結婚・出産後も、仕事を続ける。素敵で有難い事だし、大変な苦労があるのも分かります。
…一方、妊活と仕事両立の最適解を得られず、退職した先輩達もいます。私もその一人。
なんなら、結婚・出産後も、家庭と仕事の両立に悩んだ末、退職の道を選んだ人も何人かいたような…。
一体、「みんな」って誰の事を言ってるんだろう…。
「みんな」の意味を調べてみると…(暇か)
1.そこにいる人すべて。全員。また、あるもの全部。
2.残らず。ことごとく。すべて。
「みんな」が網羅する範囲の絶大なる事!
そこにいる人すべて、ってなかなかの状態。そんな状態、なかなか日常ではお目にかかれない。
全校集会とか?
でも、休んでる人がいたら、これすら厳密には「みんな」じゃない(細かい)。
考えてみると、「みんな」って結構厳密さが求められる言葉で、簡単に使う言葉じゃないのかも。統計調査みたいに、客観的に数字で「全て」を表せられる状態にこそ、使われる言葉のような気がしてきた。
さておき。 先ほどの言葉を受け、私は
ほんとに「みんな」なの?
泣く泣く退場した人は、どこいったの?
「みんな」にカウントされてないの?
それって、「みんな」って言えるの?
と疑問に思い。
「みんなが頑張っている」事は「自分も頑張る」理由になる?
妊活を見据え退職する私は、頑張ってないの?
え、「頑張る」ってそもそも何を?
仕事を? 人生を? 両方?
それって「みんな」同じ形じゃないと、駄目?
という疑問から、
「みんなって誰」「頑張るとは何ぞ」という禅問答へと突入したのです。
個人に対する支援の形は与える側によって違うし、受け手側がどういう状況かによって、享受の度合いも違う。
企業の制度、
組織文化、
働く人達の価値観、
家庭環境
従って、個人の頑張りで何とかしなきゃならない範囲も、違う。
教育に関しても、「身の丈発言」で物議がありましたよね。経済・地域環境によって受け手側のスタートラインがそもそも違うっていう。求められる「頑張り」の度合いが同じだとは思えない。
さらに、結婚、出産、育児、妊活、介護…それぞれ「頑張りどころ」も微妙に違うんじゃないか、と思います。
その最大公約数を、会社は制度に落とし込んでいるのだとは思うのですが…
私の場合、社内で不妊治療しながら仕事を頑張っていた先輩と会社の対応を見る限り、「個人で頑張ってね」って事なのね、と思う事がありました。
妊活・不妊治療だけでなく、出産・育児だって、家庭によって「頑張らなきゃならない部分」が違うんじゃないだろうか。
なのに同じ土俵に乗せられ、「みんな頑張ってる」って言われても…。
会社側からしたら、仕事を続ける存在の方が有難いのもわかります。制度を受け働き続けるって、雇う側・働く側共に理想の状態。
でも、会社側は「ビジネス」の面から社員を見ますが、働く側は「人生」の面から会社を見ます。だから、「みんな」という主語が示す範囲が微妙にズレるのかもしれない。
頭では理解できますが、立場が違うからこそ、「みんな」とか「頑張る」とかいう言葉は使って欲しくなかった…と思った一件でした。
朝ドラ「スカーレット」でも、この「みんなって誰?」的なシーンがありました(以下ネタバレあり) 。
舞台は信楽焼で有名な丸熊陶業という会社。
戦後まもなく人気を博した絵付け火鉢も、時代の流れを受け、下火に。 そんな中、主人公の師匠が信楽を去る事に。
その理由について、周囲が憶測で物を言い始めます。
「クビになったんやろ」
「は?」
「みんな、絵付け職人さんがクビになった言うてるよ」
「みんなって誰?」
「酒屋さんでも、お豆腐屋さんでも、みんな」
「みんなって誰よ」
「みんなはみんなや!」
「だから、どこの誰が言うてんのよ」
「世間や、世間!!」
…この、「みんな」「世間」という姿の見えない巨大な生き物の破壊力よ…。
この言葉が登場する場合、額面通りに受け止めると、無駄に怪我する。ホント。 真面目に受け止めないよう、言わないよう、気を付けたい所です。